「Challenged」
「介護」が
人生のキーワード

梅津 祐里

株式会社ガイアックス 管理本部 総務部マネージャー

働くことは身近だった

Yuri Umetsu

梅津さんはどのようなお子さんでしたか?

私はひとりっ子で、大人たちに囲まれて育ちました。内気で自分の気持ちはあまり言えず、逆に、外見は何も考えていない、女の子より男の子と遊ぶのが好きな活発な子どもでした。小学一年のときに、岡山から東京に引っ越したのですが、両親は仕事が忙しかったので、鍵っ子でしたね。夜ご飯もひとりで食べていたので、兄弟姉妹がいる友達がとてもうらやましかったです。その影響で、将来子供ができるなら兄弟姉妹はつくろうとどこかで思ってました。母は、よく働く人だったので、母親が仕事をすること、外でバリバリ働くことは、私にとってはごく自然なことでした。

働き方を見直すことになった母の介護

今までの仕事や、ガイアックスに入社された経緯について伺いたいです。

ガイアックス入社以前の仕事は、情報処理と総務のふたつです。高校卒業後は専門学校でプログラミングを勉強していたので、初めて就いた仕事はプログラマーでした。実は、中学三年のこれから受験というときに一度つまづいたんです。それまでは成績もクラスでトップ、部活でも吹奏楽部の部長をしていたりと、いわゆる“おりこうさん”だったのが、何か糸がプチンと切れてしまって。中学・高校は、ほとんど勉強しませんでした。高校を卒業したら働くつもりでした。でも、高校三年のときの担任の先生に言われた一言がきっかけで、勉強をしないといけないと焦り、ぎりぎりのところで、国家資格を目指す専門学校に進学することになったんです。

先生は何とおっしゃったんですか?

「きみは、いいもの持っているのにもったいない。玉磨かざるもの光らず」と。その言葉が、なぜか頭の中に響いていました。自分でも、このまま社会に出ることに不安を感じていたこともあり、両親に「専門学校に行きたい」と相談しました。両親はもともとエリート育ち娘も同じ道をと思っていたようなので、喜んで賛成してくれました。それで専門学校に通い、今でいうところの『基本情報技術者試験』を取得しました。

それで情報処理部に就職されたんですね。

はい。最初の職場はとにかく忙しくて、体力的にもなかなかハードでしたが、とても楽しかったです。ですが、そんな中、母が体を壊して入院することになったんです。仕事と母の看病の両立に不安を感じ、このままだと後悔すると思いました。悩んだ末に転職することにしました。転職先に決めたのは、大手企業の総務部でした。「総務部=暇・なにもしてない」というイメージを勝手に持っていたのですが、まったくそんなことはなかった。上司だった女性社員にもよく叱られました。でも最終的には、そこで一番厳しかったその先輩と親しくなれたんです。私にとっては、母のような存在で、家に招いて下さったりもしました。叱ってくれるのは愛情があるからで、叱ってくれる人の大切さがそのときは身に沁みましたね。

その後1~2年、再度母の介護をしました。その間で結婚もしましたが、私自身やっぱり働くのが好きで、家でじっとしているタイプではなかったので、派遣社員としてまた働き始めたんです。

梅津さんの現在のミッションについてきかせてください。

現在は、総務のリーダーとして働いているのですが、とにかく、社員の要望に応えたい。普通に考えると無理難題に思えるようなことも、やっぱりどうにかしてあげたいという思いがあります。そんな風に思うようになったのはガイックスに入ってからです。ガイアックスは、一般的な会社だと上から「ノー」といわれるようなこともやらせてもらえる、そういうチャンスをもらえる会社です。だからこそ、私も私にできる限りのことは何でもやりたい。以前、厳しい環境の総務部でいい意味で鍛えられたこと、それから、母の介護、そういった
経験の全てが今の仕事に活かせていると感じます。

Yuri Umetsu

この仕事をしていると生きる力がなんとなく高まる、無意識かもしれないけれど、そう感じる仕事を選んでいるんだと思います。

介護業界との出会い、ここが私が生きる場所なのではないか

Yuri Umetsu

ターニングポイントとなったことはありますか?

母の介護を終えてからずっとどこかで考えていたことですが、介護業界で何か貢献できることはないかと模索しています。今だから話せますが、産前休暇を利用してネイルの資格を取るためにネイルサロンに通いました。「介護施設のおばあちゃんたちにネイルやお化粧をしてあげるとすごく喜んでくれる」と聞いたことがあったからです。資格取得後は、お腹がパンパンにも関わらず、施設をまわって、おばあちゃんおじいちゃんにネイルをしたり…。そしたら、すごく喜んでもらえたんです。実際に動いてみて、私は介護の仕事に関わりたいのだと強く思いました。でも、ガイアックスで働いているうちは、介護分野の仕事はできない。心のどこかで育休産休後は復帰しないだろうな、と思っていましたね。会社を辞めようか真剣に悩みました。

それでも、今もガイアックスで働かれている、その理由も伺いたいです。

私が関わった施設の方だけでなく、多くの方が介護業界自体に疑問を持っていたこともあって、業界が抱える問題の根本からどうにかしたいという思いがありました。でも、そうなってくると、経営者レベルで考えないといけない。けれど、「介護業界で経営をする」というのは、今の私にとっては現実的ではないなと思ったんです。

それから、もうひとつは、やっぱりガイアックスが好きだったからです。常に変化がある会社で、そこが面白い。ガイアックスでの私のターニングポイントを振り返ると、いつも社内で組織替えがあったんです。その度に「何かが変わるんじゃないかな」という希望みたいなものを、ガイアックスではいつも感じていました。自分自身もまた変化できるかもしれない、面白そうだな、と。そう思わせられる魅力がある会社です。

仕事とは、人生そのもの

Yuri Umetsu

それでは最後になりますが、梅津さんにとって仕事とは?

仕事は生活の一部であり、人生そのものだと思っています。だから、仕事がつらいと思いながら働いてる人をみると、すごくもったいないと思ってしまいます。つらいつらいと言いながら働けば働くほど、仕事と自分との関係は不健康になってゆく。会社で働いていると、確かにどうにもならないこともあります。ですが、自分ではない誰かを変えようとすることは難しいけれど、自分で自分は変えられるはず。だったら、まずは自分の考え方や意識の仕方から変えることが必要になってくるのではないかと思います。それに、愉快に仕事している人にはオンとオフの明確な境界線ってないと思うんですよ。自然に近いところで働くと言いますか、自分の身体という自然の近くで労働する。この仕事をしていると生きる力がなんとなく高まる、無意識かもしれないけれど、そう感じる仕事を選んでいるんだと思います。

これからガイアックスで挑戦したいことはありますか?

やはり介護と、それから障がい者支援に強い関心があります。私には4人の子供がいて、介護経験もある。人には経験できない経験を活かすことがミッションだと思っています。今ガイアックスでは2名のchallenged(障がい者)がいます。今後も、会社としての障がい者雇用率をクリアしていればOK、ではなく、challengedの方と一緒にやること、一緒に働ける環境を模索しながらchallengedにとってのよい環境づくりをしていきたいです。理想は、色々な部署にchallengedの方がいて、我々社員と同じように働いているのが当たり前になること。それから、例えば、支援センターとコラボして、当社で企業内訓練をしていただきたい、また発達障害のお子さんを持つ方のセミナーや交流会等ができないか?と考えています。そういった活動をしていくうちに、願わくば、当社だけではなく、他社でもchallengedの方の採用が増えていってほしい。この小さな一歩から、障がい者・介護業界の就職支援・雇用活性化、自立支援につなげていけるよう、動きたいです。